ブログは面白いね。本当に色んなとこへ飛んでいけるし。
 今、自分自身の過去を振り返ると、なんで、今音楽してるんだろうと思う。ミュージシャンの名前とか知らないし・・(特に日本)。
 音楽関連のその①としては、保育園の園長先生は琴を教えていた。それで、琴の発表会の時、「音程がいい」という理由で、琴の歌を歌わされた。「赤い鳥 小鳥 なぜなぜ 赤い 赤い実を食べた」みたいなヤツ・・。
 ②小学校一年の時、CBCラジオで「朝の童謡」という番組があった。そのオーディションが隣の小学校であり、担任の先生の推薦でそれを受けて、受かった。
 だから、録音とやらに行った。しかし、それ以後、歌うことは、大学行くまでなかった。
 ③小3から小6まで、ピアノは習った。お琴を教えていた同じ先生で、めっちゃ怖い先生だったんだ。それで、へ音記号の「ド」がどこにあるか、聞いたか、聞かなかったか、定かではないけど・・・とにかく怖いから、聞けない。困ったまま3カ月が過ぎ、やっと先生にバレて、笑い話になった。このいいかげんなとこは今もかわらんね。
 ④中学の時、先生に強制的にブラスバンド部に入れられた。で、強制的にクラリネットを吹かされた。そんくらいだわ。


 音楽は嫌いじゃなかったと思う。「ザ・ヒットパレード」は見ていた。だから、60年代ポップスも、サンレモやフレンチ・ポップスも日本語で覚えてる。ビートルズもそんなもんだ。

 中一のとき、ステレオを買ってもらった。初めて買ったレコードは、モーツァルトの「クラリネット協奏曲」と「フルートとハープのための協奏曲」だった。
 あとは、フランス・ギャルの「涙のシャンソン人形」とか、シルビー・バルタンの「アイドルを探せ」、ミーナの「砂に消えた涙」、ジリオラ・チンクェッティの「愛は限りなく」とか・・・まぁ、その手のシングルは買っていた。

 ピアノは手が小さかったし、家にピアノがなかった。それで親たちが買ってくれることになったら、祖母から駄目出しが出たんだ。理由は死んだじいちゃんが、恥ずかしがるといかんのでやめとこう・・・。
 で、クラリネットに没頭・・・。

 高校は、男ばっかで、もう、うんざりして茶華道(サッカーちゃうよ)部へ。当然女の園。高一の頃は成績よかったと思う。でも、何だか気詰まりしてきちゃって、二年の五月から、軟式テニスに替わった。
 人より当然遅れてるわけだから、毎日練習厳しいし、もう、眠くてさ。宿題そっちのけで、寝てたな。

 高二の時、ギターを買ってもらう。ガットギターでさ、ネックが太すぎて、指が届かん。しかたない、それで、コードは覚えた。

 軟式テニスの男たちは、ビートルズが大好きだった。まぁ、「プリーズ、プリーズ、ミー」とか「抱きしめたい」とかは、知ってたし、嫌いじゃなかったよ。しかし、レコードは持ってなかった。
 とある時、「ブラザーズ・フォー」がビートルズを歌っている45回転のLPをレコード屋で見つけて買った。「イエスタディ」「ガール」「ノルウェイの森」「イフ・アイ・フェール」が入っていた。どれも、すんごくきれいで良かった。
 それで、ビートルズを友達に借りた。一番初めに彼らの曲をレコードで聴いたのは、「ペイパー・バック・ライター」だったな。大きな音でかけたもんだから、びっくりして、母が飛んできた。

 もう、教室の後ろの黒板のとこに、ギターがたてかけてあって、放下になるとガンガン弾いて歌ってた連中がいっぱいいたよ。別に叱られたりはしんかったしさ(一応進学校だったんだけどね)。

 それ以外は高三の秋のインターハイの予選までは、クラブしてたんで、ひたすら眠い毎日を送っていた。

 そういえば、だれぞが、縦笛で、いい曲を吹いていたんで、「いい曲だね」って言うと、「お前、知らんの?!加山雄三の’君といつまでも‘じゃん」と、言われるほど、世情には、疎かったわ。

 で、大学で、突然、軽音楽部なんだな。始めはハワイアン。ひたすらハワイアン聴いてたし、二年目はカントリー&ウエスタンに替わったんで、ひたすら、カントリー。

 そう言えば、大阪のフェスティバル・ホールまで、カントリー歌手ばっか出るのを聞きに行ったな。
 バックオウエンス&ヒズ・バッカルー、テックス・リッター、コニー・スミス・・あと記憶ないけど・・・。

 それから、サミー・デイビスJrも大阪まで聞きに行ったよ。前座がマリーナ・ショウで、カッコよかった。

 それ以外というと・・・スティーリー・ダンとか、ツェッペリンとか、フィフス・デメンション(これで発声練習してた)・・・ディープ・パープルとか、リタ・クーリッジ(&デキシー・フライヤーズの頃だけど)、キャロル・キングロバータ・フラック・・
 ザ・バンド好きだった。もう、イージー・ライダーの後ろで流れてた曲なんかみんな好きだったし。

 作曲教室行き始めてからは、先生の推薦でもっといろいろ聞いた。ジェフ・ベックヤン・ハマーの一騎打ちみたいなのとか、スタイリスティックス、ウイルソン・ピケット、アース・ウインド&ファイア・・ウォー、ダニー・ハザウェイ、スティービー・・・・・・イーグルス、ドゥービー・・ボニー・レイットは聴きにいったけど、よかったなぁ。リンダより好きかもしれん。フォリナーもいった。そうそう、CCRも行った。シン・リジーなんて、思いもかけんのにも行った。イーグルはホテル・カリフォルニアのヒットの前に行ったけど、よかったぁ・・。ポコとか・・え〜〜と顔が出てくるけど、名前が・・・そんなんばっかだな・・。

  そうそう、昔出したLPのB面の一曲目かなんかに「白い朝」というのがあって、そのイントロが、マリーナ・ショウの「石みたいなハートのなんとか・・」という曲が入っているアルバムの2曲目とそっくり(アレンジは戸塚修氏)・・・。さっぱりわからんって?!・・・そうだろうなぁ・・情けな・・・
  
  初めて日本のバンドを聞いたのは、上田正樹だった。それから、合歓の郷ポプコンの本選会で、モップスを見た。あまりの下手さに、「これって何?!」「モップス」「有名?!」「まぁね」もう、びっくりしちゃって、アングリだったのだ。星勝さんとか、バックはよくわからんかったけど、とにかく、ボーカルが下手(ファンの人ゴメン)だったんだ。

 結局、それ以来、日本のは、ほとんど聞いてない(自慢は出来んが・・・)。で、今に至る・・・
 しかし、8・8ロック・デイとか、めんたんぴん、センチメンタルシティ・ロマンスとかは知ってる。