ボーカルコースの生徒だった頃1
歌うことは嫌いではなかったけど、歌ったことがなかった・・・。
友人たちは深夜放送・・・とか、聞いてたようだけど・・・
運動部だったし、眠いし・・・深夜放送なんてま〜〜ったく聞いたことがなかったのだ・・。
ただ・・・クラスメイトに借りた「ビートルズ」は知ってたし、歌わないけど・・・「ザ・ヒットパレード」という番組がスタジオではなく「明星」というのがくっついてて、どっかのホールでやってた頃から、見てた・・・。
また、「アンディ・ウィリアムズ・ショー」みたいのを・・・あれ・・・NHKだったけ?で、やっていて、パットブーンだのオズモンズブラザーズだの・・・知ってはいたのだった・・。
だけど、自分が歌うなんて、・・・考えたこともなかった・・・。
高校の同級生には、「浪人するんでしょ?」といわれたけど、もう、受験勉強は嫌だったし・・・英語以外(高2のときの英語の先生が苦手だったから・・・)の通訳もしくは、貿易に携わりたい・・・と思っていたから、国立大学にこだわってたわけでもない・・・(だけど国立の勉強してたから、ほんとなら、もっと遊べたなぁ・・と思う)。
だから、とにかく・・・行くとこがあるなら、そんでいい・・・くらいに思っていた。
で、大学入学式・・・
おっかさんとクラブの発表会みたいのを見学して、「落研」と「軽音楽部」だったけど・・・
で、「落研」にはいろうかな・・・っていうと、おっかさんは妙に反対する・・。
じゃ・・・「軽音」・・っていうと、「ありえね〜〜」みたいな顔をする・・・。
で、「テニス部」に行くと、大いに喜ばれて・・・「すぐ試合があるから出て!」・・・と言われる・・・。
この言葉に怖気づいた。
だって、半年・・・なぁんもやらんかたんだもん・・・。
ボロ負けだけじゃなく、体力あるかしらん・・って思った。
で、なにを思ったか・・・「ハワイアン」なら、「ムームー」に「ウクレレ」・・・楽にちがいない・・・って、思ったのかな・・・
「軽音学部」の「ハワイアンバンド(ヤング・アイランダース)」の部室を訪ねる・・・。
男ばっかのバンドだった・・・。
お下げで、白い襟のワンピースで・・・「お嬢ちゃん」のいでたちだった・・・。
この男たちは、まず・・・「どこの中学生だぁ・・」と怒る・・。
すると、そんな中の一人が、「新入生?」と聞いてくれた・・・。
で、・・・なぁんとなく・・・そこに入って、一年すごす。
「男ばっかは嫌」だったんで、隣のウェスタンバンドへ「入れて!」とお願いすると・・・「ま〜、女はいらんで(もう3人いた。スチール・ギターとフラットマンドリンとボーカル)、ドラム叩いたら入れたる」ということだった・・・。
ハワイアンでは、一年間・・・スネアとシンバル一個・・・担当だった・・・。
で、即、決心・・・。
教えてくれるんかと思ったら、「誰も叩けんから、ロックへ行って教えてまえ(当時、ロック・イン・ポップスとザ・ベガーズという2つ、ロックのバンドがあった)」って、バンマスは言う。
行きましたがな・・・教えてまいに・・・。
ただ、叩いてるのを見させてもらう・・って感じではあったけど。
その次に・・・
バンマスだけじゃなく・・・先輩たちが、「カーペンターズは、女がドラム叩いて歌っとる。 ほんだで、お前も歌え!」・・・って・・・え”〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?????
歌ったことないんだってば・・・・
地声なんか出したことないよ・・・しゃべる以外・・・・
だから、発声はめっちゃんこであった・・・。
ただ・・・教養で、「音楽」とったんで、軽い「コード理論」をかじり・・・、クラスメイトの合唱の子に「腹から声を出すと体がどうなるか」・・ってことは教えてもらったんで、それだけが頼りだった・・・。
ドラムは、やっぱクラスメイトでジャズのヤツがいたんで、そいつが言うには、「左手で飯食え」・・って言う(これは、嘘・・。私・・・だまされましてん)・・・。
学食で苦労して左でご飯食べたりもしていた・・・。
で、・・・どうしても、もっと、発声もよくなりたかったし、歌もうまくなりたかった・・・。
で、・・・ボーカルコースができるというので、オーディションを受けて・・・入ったのだ。
これがなかったら・・・YAMAHAとの接点はない。
( 中学の頃、クラリネットをやってたんで、YAMAHAまで習いに行ったことはあったけどね・・。
CBCにも管弦楽団みたいのあったんだろうね・・・。確か・・・そんなところの「山田先生」・・って方が先生だったと思う・・・。)
YAMAHAとの接点がなければ・・・曲は作ってないわけで・・・
ポプコンも関係ない・・・。
面白いな・・と思う・・・。
当時の歌の先生は、「トム・ジョーンズ」が好き・・・みたいな先生が多かったから、「でかい」声がいいことだ・・・みたいな風潮があった・・・。
臨時講師で、「山崎朗(あきら)」(この字だと思う)氏に教えてもらったノウハウが理解できたのは、それから何年もたってからだったけど・・・
発声練習嫌いだったし・・・、ビブラートもかからんし・・、
ほんっとうに・・・劣等生だったっす・・。
今思うと・・・自分で気にしてたことって、そうたいしたことじゃないわけで・・・
「教える」という仕事が加わったとき、そういう自分のジタバタが役に立ったことも多かった・・・
ボーカルコース・・は、苦悩の日々だったけど・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長いね・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く