今日はなんだか手首が痛いんで、たまりかねて、貼り薬を貼った。パソはこういう時は当然最悪だわ。エルムが万博のイメージソングとしてがんばっている、「ブラボー・ムッシュル・モンド」が、全バージョンまとめて、CDかなんかになるみたいで、そうすると、私も英語版にかかわっているんで、写真とコメントが欲しいと連絡があった。私は大事だと思うと一応片付ける。そうするとまず、なくす。先日は、会社のゴム印。いまだに、見つけられんのは、ヒョウブンちゃんから預かった、ステージのスナップ。自分の性格はわかっているんで、彼女の写真もコンビニでコピーしたら、すぐ返送出来るように、封筒を用意していたんだけど、住所をメモってなくて、大事大事と後回しにしているうちに行方不明になった。今は写真のデータが行方不明。それで、恐ろしくてモノが捨てられん。前のパソは20ギガで、そんなデータ入れたら動かなくなりそうだったんで。音楽CDRにまぎれてるかしらね。4/2にローズ・コートというホテルで、葛城ユキさんを囲む会を200名規模でやることが決定。翌日は、彼女は万博の笹島会場に出てくれる。私が彼女を最初に見たのは、ポプコン合歓の郷本選会だった。私は当時はヤマハのボーカルコースの生徒で、(一応財団本部のボーカルオーディションには受かっていた。この受かっていたメンバーは、庄野真代、とか、サーカスの叶正子とか、そうだ、中島みゆきもいた。みゆきちゃんは、あまりのアクの強さに先生がお手上げで、練習用に彼女は作曲して臨んだけど合わなくて、合宿の途中で帰ってしまった)この本選会には、佐野もとはる、高木麻早、小坂恭子とか出てて、グランプリは小坂明子の「あなた」だった。葛城さんは「朝霧マチ」という名前で、ヤマハ名古屋支店の社員で森庸全氏の作った「最后の朝」という曲を歌っていた。当時のポプコンは有名じゃなかったから、毎月納屋橋ヤマハビルの7階ホールで、公開オーディションをしてたけど、半年に一回は講師や社員が出す月があった。まぁ、葛城さんは、名古屋と多少の因縁があるということで・・・。探しものしんといかん・・・。おっと、コメントもだ・・・、何を書きゃええんかしらん。あ〜〜!!ストレスかもぉ。
 トモコちゃん、コメントありがとう。オリジナル作ろうね。面白いけど、はまると苦しみの始まりかもしれん。人は年を取って代わりに何かを得る。トモコちゃんも何かを得はじめる年だもの。美形だけじゃなさそうだし、歌うことが、好きなら、一生やりゃいいんだし、他に大事なモノが出来たら、やめりゃいいんだし。ただ、一度はトコトンやらんと面白ない。面白いは苦労という事だわ。