先ほど、お名前を聞くのを忘れてしまいましたが、ボトムのコンサートの問い合わせをいただきました。張さんのファンの方からでした。三天翔については、ちゃんと説明をしておかないといけないと思いつつ、私が手抜きをしておりまして・・。つまり、うちはセッション・バンドなんです。手伝ってくれる人の善意で出来てるみたいなところが、あります。ですから、HPのメンバーがすべてではなく、彼らが登場しないこともあるんです。でも、メンバーの中で一番つきあいが長いのが、実は張さんで、次が矢野尚子ちゃん。張さんと呼んでいなくて、ツァン・ツォー・シャンと呼んでました。彼と初めて会ったのは、リポーさんが、大和ハウスかなんかのイベントに出た時に、来日後、久留米にいた彼が、呼ばれていて、私は「スーホの白い馬」を歌ってくれていた「まゆか」ちゃんのつきそいで行っていた時でした。彼はまだ、ほとんど日本語が駄目で、胡弓は上手かった。しかも、馬頭琴も弾く。当時、リポーさんの馬頭琴の演奏の一部を使い、「スーホ・・・」のCDのカップリング曲を、フルハウスの岩崎氏が制作していて、民族楽器をクラシックじゃない方向性で実験をしていました。これが、なかなか大変で・・・。文化大革命の影響を受けている奏者は、リズムをとるのが苦手。コンピューターとは、合わせられない。リポーさんは、まさにそれに当てはまる奏者でした。別にそれが悪いというのではなく、実験が無理なことと、そういう音楽をリポーさん自身が好きじゃなかったんで、張さんは、どうか・・・と、初対面の日に水を向けてみた。「好き:」だって言うじゃなぁい?それから、一年後くらいに、張さんは、リポーさんに呼ばれた形で名古屋に来ました。張さんは、フルハウスでアルバムを作り、ノリはともかく、リズムは何とかなりそうだったんで、今の三天翔の基ともいうべき実験を彼にお願いしました。「テネシーワルツ」を、マイナーで、リズムが16ビートのシャッフルとか、三天翔のアルバム楽曲の影には、もっといろいろな実験楽曲があり、最終的に今の形になった。しかし彼は去年の4月から事務所に所属し、生活のためにレッスンを多くしたため、なかなか一緒に出来なくなりました。中国でのレッスンはアカデミックだと思うけど、日本だとちょっと捉え方がちがう。張さんは、頭がこんがらかっていたと思う。今の三天翔のメンバーは一番マックス状態の時で、ドラムが「牧野寛」、パーカスが「コルゲン・ポン・鈴木」、エレ・ベーが「一ノ瀬美音」か「福田義明」、ギターが「渡辺のりお」、胡弓が「未華」、篳篥が「安藤恵介」か「近藤伸年」、あと龍ちゃんと私。というと8パート10人か・・。「三」はメンバーの数ではなく、三角形・・、安定した基本の形みたいな意味です。その状況に応じて演奏も変わりますから、その点をご理解いただき楽しんでいただけると嬉しいです。(私、波田陽区のファン・・・)