生物の水谷先生とボトムラインと三天翔

 昨夜の午後九時頃から、携帯の電池が切れたんだけど、充電ができない。午前二時頃、充電してたら、一度にメールが4通と留守録があるのが、判明。
 留守録は、録音時の電波状況が悪かったのか、何度聞き返しても、誰からか、はっきりしない。しかし、日経新聞を「見なさい」と言っている。また、ボトムラインの蔵原さんからもメールが入っていて、頭もネムネムだし、とにかく、日経をコンビにに買いに行った。
 朝刊を買って帰り、どこにあるかわからんが、買ったからいいだろうと思って、それにしても、あの留守録は誰からなのか気になって、もう一回聞きなおすと、夕刊と言っている。「え〜〜」と思ってメール確認すると、やっぱ夕刊。

 そうだわなぁ・・・。朝刊の話題じゃないもん・・・。で、また、コンビニへ。
 サークルKには日経の夕刊自体、売ってなかった。帰ろうかとも思ったけど、名古屋人は、日経人口少ないはずなんで、ユニー系じゃないローソンならどうだ・・と思いローソンへ。あったあった!
 10面ということだったから10面見ると、ボトムラインの話の中に三天翔(うちのバンド)のことも少し出ていた。蔵さん(ボトムラインの社長)、新会社作ったみたい・・。攻撃は最大の防御ともいう。ほかのライブハウスと一線を画すためにも、付加価値は必要だろうし、でも、忙しくなるじゃんね。

 ボトムラインは実は、出来た頃、「レイト・ショー」というのをやっていた。本来のライブの後、残っている客のために、ライブをするんだ。それを毎週ではなかったけど、ジャズのボーカルとして・・・私・・・歌っていたことがある。

 そん時のピアノは水谷善郎氏。
 私は彼の父上に高校一年の頃、生物を教えてもらった。タンタンとした先生で、話の途中でもチャイムがなると、「終わり!」って言って帰ってしまう。
 また、バレーボールの国際審判の資格を持っていて、「3月3日の悲しみ」という曲を作るキッカケになった飛行機事故で、亡くなった同級生(清水くんと安藤くん)は、二人ともバレー部で、この水谷先生にはお世話になった。
 大学は、大学で、ミッション系にしては、変な・・・特に男性陣がユニークだったが、でも高校時代の同級生はもっと、変だったはずだけど、けっこう皆さん普通にエライさんになってる感じだ。
  普通科だったのに、いまだに音楽してる私と、センチの告井くん。美術科だったのに、ベースマンの一ノ瀬君・・・。
 私は高校時代、茶華道部と高2から、軟式テニスで、音楽とは無関係だったのだ。しかし、軟式テニスの男子は音楽をやっていた。
 お〜〜い、高崎〜〜、お前に誘われて、音楽の練習につきあってるうちに、なんとなくその気になって、大学で軽音楽部に入っちゃったんだぞ〜〜。
 加藤さ〜〜ん、先輩が、「カーペンターズは女がドラムたたいて、歌っとるから、お前も歌え!」っていうから(私、ドラムだった)、歌い始めちゃったじゃん!!
 
   ローマは一日にして成らず・・・。同様に、人生も流れというのがあるようで、いろいろなキッカケで進んでいく方向が変わる。
   なんだか、不思議ではあるよね・・・。しみじみ・・