珍しく旦那が2日間、仕事でいないらしい。やったやった!どうも「いる」ってだけで、どこかが重い。全く考え方がちがうからね。正しいとか、正しくないの問題じゃないんだ。
 
 笑い話の様だが、旦那は次女と二人で「子ども動物園」へ行くと、100円を彼女に渡す。「子ども動物園」を出ると、そこには、乗り物がいっぱいある。みんな一回100円。つまり一つは乗れるってことだ。
 今時、貴重な体験だとは、思う。しかし、一個っきゃ乗れんのだよ!乗れんよかは、いいかもしれんが・・・
 私が連れて行くと、逆に「乗りたいのに、全部乗っていいよ」と言う。これも良くないとは思う。

 次女は、そのハザマで育った。なかなか精神的には、たくましい。9ケ月から保育園育ちだし、上級生におもちゃを巡って、殴られてたし、それにもめげず育った。持って生まれた性格もあるだろう。しかし、全部認められた状態を知らないんだ。

 長女は、全く逆で、ジジババは「よそ様が笑う・・」が口癖で、私も初めての子だったから、厳しかった。良い子なんで、言われたことは、よく理解する。しかし、理解と感情は別物だ。理解はしても、納得しない感情をもて余して、よく泣いていた。
 しかし、モノには不自由しなかった。だいたい私が叱っていると、「何イジメてるの!」と私が叱られていた。

 次女は大雑把。女の子というより、中性みたいなタイプ。スカートは、はかん。長女は、現在イロ気はないが、女の子・・というタイプ。

 なかなか、子育ての舵取りは難しい。しかし、その時期その時期で、家庭環境や、親の立場、状態も違うし、これだけ個性も違うのだ。すべて、難なくこなせ・・というのは、不可能だね。それを親に求められても、神様じゃないんで・・・。
 それに子どもは、やがて独立して行くモノだ。親の人生と子どもの人生、どちらかを優先というのではなく、折り合いがつくところで生活しないと、将来、どちらも大変だろう。私の人生は私のモノだし、子どもの人生は子どものモノ。私のために、彼らの時間を犠牲にするつもりも、もちろんナイ!

 次女には、「うちは、世の中の普通の家とは、ちがうからね!これが当たり前と思わんように・・」と言い置いてある。
 この経験を彼女が、大人になって、どう生かすか・・・それは、神のみぞ知る・・。