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台風だ。しかし、海沿いに行っちゃうだろうな・・・。
さて、安易にトラックバックしていいか、迷っちゃうから、しないけど、ちょくちょく行ってしまう日記がある。
某マスコミのプロデューサーのようです。駒大苫小牧の件について、かなり、きっちり意見を述べられていた。
「教育という名の体罰」というフレーズで、思わず考え込んでしまった。
私は高校時代運動部だったけど、チンタラ運動部だったし、実は顧問が誰だったか記憶がない。(顧問の先生・・・ごめんなさい)。
合宿もあったしねぇ・・・。何でだろ・・。
また、いっつも「ボール、投げてぇ〜〜」とか言って、「またかよ・・・」と私たちには、評判の悪かった硬式野球の先輩達は、夏の甲子園地区大会の決勝まで残り、中京にコールド負けした。そんなん、うちは進学校だし、決勝に残ったのは、クジ運だったと評判だったし、本人達もよく自覚していた。
しかし、これが中京や、名電、東邦とかだったらどうかなぁ・・・。
一種のいじめみたいなのも、あるんだろうか・・・。
なにが、言いたいかというと、体罰ってどうも行き過ぎるからいけないけど、多少は必要じゃないか・・・と思っているんだな。
これは、世代によって、全くちがうだろうと思う。
私が、先生に殴られたの・・・いっぱいあるな。まぁ、中学までだけどね。
小学校の頃、校長室の掃除当番だったんだけど、校長先生の机の上には、浅い花器のようなものが置いてあり、中に苔むした石と、金魚がいた。
掃除しながら、金魚を捕まえて、石の上で、日向ぼっこをさせるのが、当番の楽しみだったんだ。
これがある日バレて、金魚をそんな風に扱っちゃいけない・・ってことで、全員校長室の廊下に立たされて、本で頭を、ゴンゴン・・と一発ずつ叩かれた。
雪の日に皆で雪合戦をして、理科室の窓ガラスを何枚か割ってしまって、これは、中学の時だったから、「お前ら、いくつになった!バカ者!」と、やっぱり全員一発ずつひっぱたかれたな。
あとは、教壇に体を押しつけながら授業をする先生がいて、その教壇のところにチョークを塗りたくっておいたもんだから、先生のスーツは見事にチョークだらけになって、こん時は、厚い国語の教科書で殴られて、目から火花が出た。
当然、親にもいっぱい殴られた。・・・そういうもんだと思ってたからね。別に殴り返したりとか、思いもしなかったし。
ところが娘となると、叩かれると平気で殴り返してくる。はじめはビックリだった。
だって、私たちは、別に学校で「親に殴られても、殴り返すな」と教わったワケじゃない。
ある種、申し訳ない・・・と思っていたからだと思うんだ。
これは一体なぜ!
うちの娘だけかもしれないね。しかし、一体どこがどう変わったのか知らないけど、世の中が確実に変化したんだろう・・と思う。
私は、団塊の世代の収まりつつある頃に生まれた。
今の30代とは、まるっきり意見が違っても仕方ない・・とも思う。
うちの旦那が、庭にいるノラの子猫を轢いた。近所のオバサンの話だと「メン玉飛び出ててさぁ・・」ということだ。
これを次女に話した・・。「めん玉とび出てたらしいよ・・」旦那は児童心理学をやったとかで、そんなことを子どもに言うのは虐待だと言う。
年長さんの頃、次女の頭を一発ポカリとやったんだと思うけど、突然旦那が鬼の形相で私を突き飛ばし、「何をするんだ!」と怒ったことがある。それはこっちのセリフなんだけど。
要するに、かれは私より8歳年下なんだ。社会状況もちがうんだろうね。
でも、そんなん、自分のしかわからん。うちはスパルタだったけど、かれの母上は、そんなことは、しんかったらしい。
私の頃は親にポカスカなんて珍しいことじゃなかったんで、まず、家の中で見解がちがっちゃうわけだ。
しかし、駒大苫小牧の彼は、何で、殴られたんだ!?なんか、夏バテ防止のため、食べる量が、約束してあったのに、それを守らず、反抗的だったから・・・とか、いう話を読んだけど、そうなんでしょうか・・・
理由なんか、どうでもよくて、体罰はいかん・・・ということかな。理由がはっきりしてたら・・・でも、まぁ、普通は何発も殴らんわねぇ。普段から反抗的だとか・・・
それにしても今は先生達は高圧的な言葉も、使えんらしい。
私、殴られたこと、よ〜〜く覚えてる。悪かった・・・と思ってるからか、別に、傷にもなっていない。
うちではいい子も、集団になると、とんでもなくなるケースはいっぱいあるよ。子ども会なんかは、そんなことばっかりだ。
だから、殴っていいとは、もち思ってない。
言葉だけで、ちゃんと教育していくには、家庭教育でしつけられている・・という前提がないと、現場は大変だと思う。
むずかしいね。
9歳までは、家庭でことの善悪をたたきこむ必要があるとどっかで読んだことがある。せめて、そんくらいまでは、冷静な体罰は必要だと思うけど・・・。