午後六時から、八事興正寺に付属してる施設(名前を忘れた)で、K氏の愛娘の通夜に参加した。

 制服姿の同級生もいっぱい来ていた。藤が丘にあるバード(今はリハスタ)のオーナー夫妻も来ておられて、知らなかったけどK氏夫妻の仲人だったということだ。

 焼香をして、「がんばってね」とK氏に声をかけて、握手をすると、ギュっときつく握り返して来ました。なんだか、彼の気持ちが伝わるようでした。

 奥さんは、彼の生徒で、実は私とも面識はあるんですが、すんごく久しぶりだったんで、いったい何者なのか、わからなかったみたい。

 まぁ、・・・この際、名前を明かしてしまうけど、愛娘は愛子ちゃんという。

 お棺をのぞかせてもらって、挨拶をしてきた。まつげの長い、本当に愛らしい・・・眠っているようだった。

 帰り際に、「今度は、そんなにかわいくなくていいから、生まれ変わったら健康な子になって来ようね。よくがんばったんだから、ゆっくり休んでね・・」と声に出して言ってきました。

 K氏と組んで作曲やアレンジをしていたM氏の長女にも会いましたが、年賀状で見た幼い頃の写真からは、程遠く・・いかにも年頃の娘さんで、自分の年を実感してしまった・・・


 BGMは愛子ちゃんの好きだったゲームの音楽や、ポケモンの歌が流れて、彼女の幼さが、参列者の涙を誘っておりました。

 愛子ちゃんは合唱部だったそうで、同級生たちが、お棺の前で歌を歌ってくれていました。

 同級生たちは、おそらく、人の死に直面したのが初めての子が多いと思う。よ〜〜く見て、人の死が、どんなに悲しいか、取り返しがつかないか、心に刻んでいってほしいと思った。


 その後、K氏と少し話しましたが、「ず〜〜っと自分のモノだと思えば・・・」と言っておられました。

 しかし、これを言葉通りに取ってはいけない。


 私のおとっつぁんには、妹がいたらしい。小学校3年のとき、一晩ではやり病で死んでしまった。

 すでに亡くなっているけど、ばぁちゃんは半狂乱で、雨が降ればお墓に傘を差し掛けに走り、う
まいモノが手に入れば、真っ先にお墓に供えに行った。

 でも、悲しくて悲しくて、お寺の住職に相談したらしい。

 住職から「一年毎日お墓に通いなさい」との助言をもらい、一年通って、ある日「あきらめ」を体感する。

 「もう、もどらないんだなぁ・・・」。小学3年は、かわいい。親だって、子離れしてない。

 


 しかし、いくつになっても、親から見れば子どもは子ども。


 以前id:nadja5さんが「おかぁさんが死ぬなんて耐えられない。私が先に死にたい」と言っておられましたが、それは下世話に言えば、親不孝ですよ。


 子どもは親より、出来れば、一時間でも、長く生きてほしい。

 しかし、子どもが死のうと、親が死のうと、生き残った人はお迎えが来るまで生きていかねばなりません。

 
  私は長女を抱っこするのが、そろそろ辛くなった時、それを実感しました。つきつめて行くといろいろ、考えてしまいますが、とりあえず、がんばってまいりましょう。