知人から、およそ30年も前に出た、私の「とまり木」というアルバムの曲が、どっかで配信されてると聞いたんで、探してみた。

 http://yamaha-channel.jp/disc/2005/12/000821.php

なんだか、こそばゆく誉めてもらえてます。まぁ、書いてんのヤマハの人だろうし、誉めな、売れん(爆)。

  でも、「このアルバムタイトルとジャケ写から早合点したらもったいない」ってどういう意味だ?(爆・汗)


   トラックバックって書いてあったから、ためしに、いれてみよ


  http://blog.yamaha-channel.jp/mt-tb.cgi/732

     でも「はてな」じゃないし無駄かな・・・。誉めてもらったお礼を言いたいんだけどね・・・。


いしだひでヲさま!!


 

 で、先日、青木まり子さんにも、その中の曲を送ったんで、取り出して聞いてみた。

 今の私からは想像つかない、恋愛の歌もあるんだ(汗)。


 当時のディレクターの意図としては、ボーカルの良さを引き出す・・・ということだったかな・・・と思う。

 曲はほかにも出来ていたんだけど、「それは次ね(次はなかったけど)」ということで、

 サウンド面での統一感はない。


 また・・作曲を始めて日の浅い私は、いろいろなタイプを実験的に作っていた部分もある。


 ・・・つまり、当時の流行のシンガーソングライターのアルバムというより、バラバラの作家が作った曲を歌手が歌ってる・・・ってイメージに近かったと思うんだけど、そこんとこを評論家にたたかれた。


 世界歌謡祭に初めて出たキッカケの曲・・「三月三日の悲しみ」も、「お葬式にきらびやかな衣装で行ったみたい」だと書かれたし。

 16ビートの、昔のソウルっていう感じなのだけど、そういう形態の中にある「行き場所のない悲しみ」は理解してもらえなかった(もともと、そういう目的で作ったモンじゃなかったんだから、いいんだけど、当時はガキだったし、ガッカリしたことも事実だ)。


 そんなわけで、アルバム「とまり木」は私にとってはいい思い出ではなかったのだ。


でもさ・・・「白い朝」は、イントロがマリーナ・ショーみたいな名前のオネェさんの私が大好きだった・・・え〜〜と「石のハート」がなんたらいう曲の次の曲にそっくり(これじゃ、わからんわね)。

 生ピとエレピが交互に出てくるんだけど、プレイは羽健さんだったな・・・。

 とても、ミュージシャンに恵まれてた。今考えると、本当に有り難い。ヤマハだったからやってもらえたんだろうと思う。


   ヤマハさん!ありがとう《目がキラキラ》




 《そういえば、ミッドナイト東海にリスナーから送られてきたテープによると、TBSかなんかの<パック・イン・ミュージック>だったか・・・キンキンの番組で、アルバムの一曲目の<ふられた後で>が、話題になり、「誰が歌っているんだろうね」と言われていたのを思い出す。・・・ライナーノートには私の名前と写真はあるんだけど、プロフィールとか一切書いてなかったのだわ・・・(汗)》




 しかし、今聞ば、感慨深いものがある。


 だって、それぞれの曲に「いきさつ」があるし、色々、思い出すよ・・・。

   例えば・・・何で、酒飲むとジンマシン・・・の私が、「冷酒」飲んでたか・・・とかさ。





 キャニオンのプロモーターの方には、本当にお世話になった。


  私は、マネージャーとか、いなかったのだ。どこへ行くのも一人。



 Iさんという東京の方もおられるけど、一番お手数をかけたのは、地元の担当だった「寺崎さん」と、大阪担当だった「植島さん(この字だったと思う)」。

 あと、名前を忘れてしまったんだけど、北海道札幌担当だった方。


 もう、おやめになってると思う。



 もし、消息がわかって、お会いできたら、こころからお礼を言いたいと思う。



 この程度の情報じゃわからんよね(今じゃポニーキャニオンだし)。