前略 いしだひでヲ様  http://blog.yamaha-channel.jp/mt-tb.cgi/732



 くどいなぁ・・と思いつつ、id:kinutさんのところで、曲を作ったいきさつ・・を書き込みましたら、それはそれで、「ふ〜〜ん」と納得していただけたみたいなので、書いとこ・・・と思いいたりまして・・・。

 まぁ、どうでもいいのですが、当然知ってるの私だけなんで・・・(汗)


 以前、この日記のどこかで、当時、「日本楽器名古屋支店管轄」のボーカル・コースの一期生であったことは、書いた記憶があります。

 春にボーカル・コースのオーディションがありまして、私は、ドラム叩いてC&Wを歌っていましたので、発声は悪いしビブラートもかからんし・・・日本語の歌は歌ったことありませんでしたんで、4ビートで「サニー」を歌いました。何となく合格。

 その年の初夏だったと思いますが、「財団法人ヤマハ音楽振興会本部(当時は恵比寿にあった)」のオーディションに、あがっちゃって一番を二回歌ったにもかかわらず、合格。

 その年は本当にいろいろありまして、ポプコンの本選会も「合歓の郷」でしたし、確か、ボーカルコースの勉強として、連れて行ってもらいました。

 2回行ってるはずなんですが、記憶がくっついてしまっているんで・・・。

 「佐野元春」さん・・・出てましたよ。「バイバイCボーイ(この《C》は、チェリー・ボーイの略・・・という話です)」という曲でした。

 NSPや高木麻早ちゃん、小坂恭子ちゃん、金玉(こんぎょく)というのもいましたね・・・。

 これ・・・春だったかな・・・。・・・駄目だ!こんがらがってる!!!


 秋は、もう、高田真樹子さん、小坂明子さん・・・。


 で、世界歌謡祭も、連れて行ってもらいました。


 で、ちょっと曲を作ってみたくなっていた。


 高木麻早ちゃんに、「どうやると出来るの?」と聞くと、「そんなん、知らんうちに出来てた」という話。

 そのうちに、ボーカル・コースが先生不在で長期休業?になり、その説明会の帰りに、ヤマハのスタッフから、「今から作曲教室に行くけど、暇なら見学に行かん?」というお誘いがありまして、少し、作ってみたい気になっていたんで、行きました。

 ボーカル・コースでは、発声が悪い・・・とか、ビブラートが変とか、とにかくいいことありませんでしたから、作曲・編曲教室の先生に「よく出来ましたぁ!」と誉められたときは、びっくりしましたが、通う決心は、すぐつきましたね。

 人の人生や、才能なんて、ひょんなことから、変わるもんですよ。

 実体験してしまいました。


 で、翌週、とにかく、知ってるコード全部?使って一曲作って行きました。「過去への旅路」という曲・・・「ザ・バンド」の曲の題名のパクリですね・・・(汗)。


 そうこうしているうちに、友人が飛行機事故で亡くなりまして・・・。もう一ヶ月くらい、バスに乗れば、乗り越すし、友人たちとやる予定のライブで、「ロバータ・フラック」が歌っていた「ジェシージャニス・イアンの曲)をやるんで練習すると、もう、歌えない。一人っ子だったんで、ご両親のやつれようは半端じゃない。


 今は、名古屋三越ですが、昔はオリエンタル中村・・・というデパートがあり、そこの6階にカジュアルなイタリアン・レストランがありまして、そこから、栄町の人ごみを見ると、まるで、蟻みたいに見える・・・。

 で、何で、死んでしまうのが彼らだったんだろうとか・・・、こんな蟻みたいな人間が一人いなくなることによって、ずいぶん悲しむ人がいるんだよね・・・とか、考えました。


 それで、「曲を作ろう」と。


 遺族の方々を傷つけないように、そればっかり考えた公表でしたが、よかったのか・・・

      それは今でもわかりません。

 同期だったYさんに、2人きりの時でしたけど、「また、誰か死ぬのを待ってるんじゃないの・・?」なんて言われた時は、本当に腹立ちましたよ。

 まぁ、そんなこんなで、このアルバムが出るまで、紆余曲折ありました。

 


 さて・・・と、長い前フリで・・・(汗)



      http://yamaha-channel.jp/disc/2005/12/000821.php




 ①ふられた後で・・・・昔、好きだった人に「お前、子供っぽいなぁ・・。いいかげん大人になれ」みたいな事言われた。私は、ホント、腕につかまったり、お手々つないで歩いてみたいお年頃・・・だと思っていたんだけど、世の中そうじゃないのね!!みたいな、ショックがモトになってます。
大曲ばっか、作って・・・・みたいな批判あったし。


 ②とまり木・・・・・当時、ウインドウ・ペインというバンド(昔、スリー・ブラインド・マイスというマイナー・レーベルがあり、そこから彼らのLPが出てました。ただレコーディングが決定したとき、彼等とは離されてしまいましたけど)と一緒にやってまして、これは、かなりロックっぽかった曲なんですけど。
友人が、「睡眠薬飲んで死ぬ」みたいな手紙をくれまして。りこうな人なら「死んでみれば?・・」と突き放せるかもしれない。おばかさんだったら友人の心の葛藤なんて気づかないかもしれない。気づいてて、突き放せず・・・、かといって、何かしてあげるわけにもいかないんで、不眠症になって「冷酒」飲んでおりました・・・・



 ③永遠の流れの中で・・・自分の歌唱力を省みず、えらい大曲を作ってしまって、しばらく封印してましたね。「永遠の今」がテーマだった。
母の実家がお寺だったし、人の死=自分も死ぬ・・・。頭から離れないテーマだったので・・。


 ④思い切り抱きしめて・・・「馬鹿だな・・・お前」って言われたら、それで、解決しちゃうような喧嘩。なんで、男ってまともに喧嘩を買っちゃうんだろう・・・。言葉じゃなくて、頭・・・なでなで・・・でも、いいのに・・・と、いっつも思ってたので・・・



 ⑤旅愁・・・・当時、バンドとの練習は、ヤマハ金山センター(今はありません)というところでやっていて、そこへ行く途中に名鉄とJRの金山駅がありました。ちっとも曲が出来ないと、金山橋の上から線路を見て・・・「あ〜!どっかへ行きたい!」なんて思ってました・・・・


 ⑥白い朝・・・・私は田舎で山の中に住んでいて、ある朝、周りが真っ白・・・霧。
で、これは、作曲教室の宿題の曲。Aメロが9小節あります。
先生が、「これは、小節の区切りが間違っているんじゃないか?」とおっしゃるし、何度もチェックしましたが、歌うとおかしくないのです。その意味で不思議かもしれない。


 ⑦ハートブレイクハウス・・・バンドでは4ビートでやってましたね。ギターの8ve奏法が入って。そういう4ビートをやってみたかった・・・。


 ⑧カントリーガール・・・バンドではドゥー・ビー・ブラザーズのスタンピートのイメージでやってましたね。テーマは「田舎育ちに何か問題ありますか?!」っていう居直り。
私・・・、東京の言葉、駄目っすねぇ。喧嘩売りたくなっちゃう。
名古屋弁しゃべっとるのが、「何でイカンのぉ!」。



 ⑨うまくいかなくても・・・友人の一周忌は、パリで亡くなってるし、パリで行われました。で、私も連れて行ってもらった。
アンカレッジ経由でしたから、名前は忘れましたが、凍った川を上空から見まして、高いところから見ると、けっこう現状を客観的に見れるかも・・・と。

このイメージは、今の私のバンド三天翔の「夢の二胡」にも出てきますが、蛇行した川の映像は頭にこびりついております。これは、第19回チリ音楽祭で「ベストアレンジメント賞」をもらいました。

始めのイメージはキャロル・キングの「空が落ちてくる」・・・みたいな題の曲・・・。



 ⑩オーバー・ザ・マウンテン・・・田舎らしい曲を作ろう・・・ということで。
C&Wの「二人の青い鳥」とか、「山の・・あなたの・・・空遠く・・・幸い住むと・・・人の言う・・・」という詩のイメージとかも、入ってます。



 日常のひょんなこと・・・、誰かの一言で、人生は変わって行きます。国文科で日本語勉強したわけでもないし、音楽大学で勉強したわけでもない。
 
 現在、迷い道しておられる皆様の、参考にでもなれば、うれしい。

 長く生きる・・・って、ず〜っと迷った・・・ということでもあるのです。

 だいたい、みんな多重人格なもんです。

 明日、お迎えが来ちゃうかもしれないんですもん、面白いことしてください。

 面白い=苦労・・・あるいは努力というオマケがついてきますけど・・・。


若くして、亡くなってしまった、友人たちに「あの世」とやらで再会したとき、「長生きした分、ちっとはがんばったじゃない」と言ってもらわんと、かいがない・・・っていうのがいつも頭にあり、2002年2月より「ふるさとはアジア」という曲をモトに、アジアの子供たちに何かしてあげられないか・・とか、葛城ユキさんに「生命(いのち)のバトン」という曲を歌ってもらったりして、少しは、地球のこと考えようよ・・・とか・・・試行錯誤しております。

 目指せ!生涯現役・・・ですね・・・。



 いしださま・・とも、妙なご縁です。

 私よか、かなりお若い!はず(世の中、そんな人ばっかですが・・・《汗》)なんで、人生これからですよね。出会いや、別れや、病気したり、短いような時間ですけど、一瞬に過ぎたりしません。がんばってくださいまし・・・。


    独断、乱文・・お許しください!  

                             草々

                                シバヨ