番組あれこれ

  長丁場の番組・・・、たとえば私に関して言うならまさに犬山の愛北FMだ・・。

  まぁ・・・歌でも何でもそうだけど・・・、肩に力が入りすぎても、調子に乗りすぎても、へりくだりすぎてもリスナーさんたらぁは不自然さを感じてしまうんじゃないだろか・・・。


 この、よ〜〜わからんが、不自然・・・っていうやつは、感性の問題ではあるんだけど、なかなか曲者なのだわ。


 絵画とかだと、この不自然さがインパクトになったりする場合もあるんだろうけど、おしゃべりに関して言えば、やっぱ、聞きづらいよ。


 そこを克服するのが難しいところ。


 もう、ず〜〜っと昔だけど、「あの〜〜」が多い時があった・・。


 ズブの素人が、突然、しゃべりだしたんだから無理もないのだが、聞いてる側にとってそんな事情はどうでもいいのだ・・・。


 で、少し、ノートに書いて、しゃべりを安定させたらどうかなぁ・・・とトライしたこともあった。


 これが、不思議なのだけど、下を向いてしゃべってるのはわかっちゃうのだ。


 やばいじゃん・・・。


 で、また、考える・・・。



 要するに・・・考えるよか、慣れることが重要なんだけど、そんなこたぁ・・・今だから言えることなのだ。



 昔、嵯峨D(ミッドナイト東海のディレクター。すでに故人であるが・・・)によく叱られたのは、「何でわからんことがあったら、聞かんの?」・・・ということなんだけど・・・。


  んなもん、あ〜〜た!・・・数学と一緒よ!


 わからない点が確認できるレベルにも行ってないってことなのよ。



 「感想を聞かん・・・というのは、よっぽど自信があるってことなんだな」・・とかね、言われた言われた。

  もう、ガク・・ってしちゃうんだけど・・・・。




 ちゃうのよ・・・。恐ろしくて聞けん以外のなにものでもない。





 しかし、私は、あまり核心にふれたことは言わないし言い返すこともなかったんで、あちらも私が何考えてるかわからんかったらしい。


 それは、嵯峨さんが、FM北海道に入社されてから、・・・・つまりそういう確執からかなりたってから、お互いに「なぁ〜〜んだ」・・・とわかった部分なんだけどね。



 こういう「しゃべり」・・・って、なにも番組だけに必要なことではない・・。



 たとえば、今日は、塾の引継ぎの打ち合わせがあるのだけど、子供たちを教える授業でも同じことが言える。


 もち、先生としての授業と番組は違うのだけど、要は、論点・・・っていうか、内容をわからせる・・・ってことなんだから、似てる部分多い。

 表面的な手段よりは・・・手段ははちゃめちゃでも、相手がちゃんとこちらの言ってることを理解してくれればいいのだ・・。


 「飽きさせない」「侮らせない」「でもリラックス」「興味の矛先」・・・みたいなもんだな・・・。


 私は、この嵯峨Dとの諸々で、萎縮した日々もあり、「しゃべるのが苦痛な日々」はけっこう長かった・・。


 しかし、ミッドナイト東海のあと、「KBS滋賀」っていうところへ行ったんだけど、ここはまた名古屋よりもっとローカル・・・ってこともあってか、本当にアット・ホームで・・・。


  つまり、厳しくしたって、「1を聞いて10を知る」っていう才能豊かな人はそうはおらんよ。

  それより、その人の本質が出るような環境を作る方が、凡才を高次元に高めてやれる可能性が出てくる気がしている・・・。

   しかし、それもまた、今だから言えることだな・・・。





 KBS滋賀で得たことは、「他愛ないことでも、私が面白がってしゃべっている内容なら、聞いてる側もマンネリにはならん」ってことだった・・。



 そういうおかしな経験も、ひょっとしたら、何かに役立つかもしれんが・・・・(汗)




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