訃報


 時々、日記にコメントしてくれていた方が亡くなられた・・。

 私が、この日記を書けるようにセッティングしてくれたのも彼だ・・。

 46歳だったと思う・・。

 

 直接の死因は動脈剥離なんだろうな・・。

 でも、何でそんな剥離の仕方をしたんだろう・・とか、ちょっと腹立たしい・・。

 長年のアトピーの薬のせい・・? 抗鬱剤のせい??

 とか・・まぁ・・色々思うのだ・・。

 それになんといっても彼の奥方は25〜26歳。

 結婚生活も3年くらいだ・・。




 昨日、31日の仕事で、ひょっとしてリクェストが来るかも・・・っていうことで「千の風になって・・」を買った・・。




 「手術はいつ?」「それが感染症がひどくて、日程がたたない」・・・

 というメールの交換をした・・。

 その履歴はmixiの中に残っている・・・。


 自分が死ぬことについては、腹をくくっているつもりだ・・。それに、以前ほど「怖い」という感覚はないかもしれない・・。

 それは本も読んだし、なにより、たくさん生きてきた・・っていう気持ちもあるんだ・・。

 しかし、自分以外の「死」については、そうはいかない・・。

 見舞いにも行きそびれた・・。

 後悔ばっかだ・・。


 
彼は、うちに関しての様々なweb関係の諸々をボランティアで引き受けてくれていた。

 「三天翔」のHPは、彼の仲間の高橋さんの手によるデザインだけど、メンテナンスとか彼がやってくれていたのだ・・。

 彼の人生もなかなかの波乱万丈ぶりだった・・。


 学習塾をやっておられたようだけど、小笠原かなんかの学校の先生の仕事が決まって、塾を解散・・。

 あちらへ出発直前に、母上の白血病が発覚・・。

 で、彼は小笠原行きをとりやめ、とある工場にバイトに行く。

 そこで、「おや、プログラミングができるの?じゃこれよろしく・・」なんて感じで、不可欠な人材になって行く・・。

 で、鬱病の症状が出て退職・・。

 しかし、どこかに所属していたい・・という気持ちから会社を興す・・(本人談)。


 パソコンを修理してアフリカなんかに輸出したり、帰りにあちらの物資を輸入し、それを売るための店も金山にある・・。

 また、アフリカンなカフェもされていた・・。


 店のスタッフに、「○○さん、日本語大丈夫ですよね?」と言われた・・と苦笑いされてたこともあったな・・。日本人です!(汗)


 ご本人は、達観されてた部分もあるとは思う・・。

しかし、志は半ばだったんじゃないだろか・・。


 奥様からも、彼のお友達からも、彼の夢は「僕一人のために、《3月3日の悲しみ》を歌ってもらうこと」だったとメールがきた・・・。




 そんなん、歌いたくないよ〜〜

 目覚めてくれるなら、100万回でも歌うけど・・・・


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