リッキー・ママ

 日曜だったか、友人とまたまた「トムヤンクン・ラーメン」を食べに行くと、その日は、マイミクのリッキーさんと彼の弟で、この「トムヤンクン・ラーメン」の考案者の「なおくん」のママがやって来た・・。

 このママは面白いのだ・・。よ〜〜働く。

 身分的には、近所や親戚のおばさんたちと旅行三昧、食べ歩き三昧、おしゃべり三昧をしてても、当然のお方なのだが、額に汗してよ〜〜働くお方なのだ・・。

 ちょっと、酔っ払ってて、それがまた面白い・・。


 私に、「ここで今から歌え!」とおっしゃる・・。

 「マ〜マはね・・ってはよ歌え!」・・って、なんか「ママの唄がお気に入りなのかな・・・



 で、ラーメン作ってるなおくんに「お前、伴奏せんか!」とおっしゃる・・。

 なおくんは、コンガたたいたりするのだな。

 で、なおくんは、ママに「酔っ払っとる?」と聞く。

 「うん!」という返事・・。



 で、「働いとるときは、集中しとるで、嫌なことは考えんでもええがね・・」ということだ・・。


 ほ〜〜だなぁ〜〜〜



 ママは70歳くらいだから、戦争体験もあるだろうし、嫁姑も厳しかったと思う・・。


 私の、うちのおっかさんの一番古い記憶は、縁側でばぁちゃんにおっかさんが叱られてる記憶だ・・。

 よそ行きの服を着ていて、私が、「ねぇ〜〜、ポンばぁちゃんとこ行かんの?」と覗き込んでいる・・。


 実家に帰る云々でもめたんだろうな・・・。


 「ポンばぁちゃん」というのは、「ポン」という犬を飼ってるばぁちゃんの略で、母方のばぁちゃんだ・・。


 この「ポンばぁちゃん」は、けっこう出来た人で、近所のばぁちゃんの話だと、私の家は、バス通りから、4軒目くらいだった・・・。

 で、「孫と娘がお世話になります・・」と言って、お辞儀をしいしい、帰る・・。

 で、バス通りまで、お辞儀しっぱなしだったらしい・・。

 7月1日の私の日記で、「軍国の母」として長男を見送って、「ふとんをかぶって泣いてた人」だ・・。


 そういう時代だったといえば、そうなんだけど、・・・


 今は、この姑世代の出来が悪いと実は思っている・・。


 つまり、私くらいか、ちょい上なのかな・・・。




 父方の「ばぁちゃん」は養女だった・・。

 もらわれてきたのは小学校6年の頃らしかった・・。

 で、養子をもらう(じいちゃんだわね)・・・。


 (両もらい・・・ってよくないらしいけど・・・)




 義母兼姑のこの「ばぁちゃん」の叔母さんは、子供を産んだことがなかった・・。

 よって、産後の肥立ち・・・ということを経験していなかった・・。

 かなり大変だったみたいだな・・。


 この人たちが働き者だったのはゆうまでもないが、その理由は、リッキーママと同じく、「集中していれば、嫌なことは考えない」・・っていう理由だったのかもしれん・・。


 ラーメン食べに行っても、運良くママに会えるとは限らん・・。


 でも、リッキーさんとなおくんにどことなく似ていて、働き者の、ほろ酔いママはなかなか味があって、よいな・・。


 まぁ・・・息子たちにとっては・・・天敵かもしれんが