失くしてきたもの

 今朝、原付でぶっ飛ばしながら、なんだか知らんけど涙がいっぱい出た・・。

 昨日は、暑くて頭がガンガンしてしまって、龍泉寺温泉に行った・・(あとでわかったんだけど、龍泉寺温泉は取り壊されてあたらしくなるらしく昨日が最後の営業日だった)。

その駐車場で、おっかさんからの電話を受けた・・・

 「3月3日お悲しみ」で死んだ友人の父上が実は3月29日に他界しておられた・・という連絡だった・・。


 おっかさんは、「おかしいなぁ。。」とさんかんに言っていた・・。

 お中元を送ると、真っ先に電話が来る・・・。なのに連絡がない・・ってまさか入院とかしておられるのかな・・と心配していたのだった・。

 連絡は、この父上の「甥ご」さんからで関係を尋ねられたらしい・・・。

 で、「実は・・・」と説明すると、彼は「そのことなら覚えております・・」ということだったらしい・・・。

 たぶん、あの人だろうな・・・と私にも思い当たった人がいた・・・。

 そしてまた、


 「軽井沢ラブ・ソング・アウォード?」事務局から、「無限紀行」という曲が決勝に残った・・・という連絡を受け取ったところだった・・。


 この曲は、昔・・・大好きだった人の別れるときに「彼から言われた言葉」をもとにして、ず〜〜っといじ繰り回していた曲だった・・。

 英語にしてみたこともあるし・・・。


 そして、彼と別れた原因のひとつに、この「3月3日の悲しみ」で・・死んだ友人の7回忌の企画があげられると思う・・。


 
 今回亡くなった父上の意向で、7回忌記念のドキュメンタリーのレコードを作ることになって、ミッドナイト東海でお世話になった、この方もすでに故人だが、嵯峨ディレクターにすべてお任せ・・・、私は音集めの役でフランスまで同行したのだった・・。


 ご遺族の葛藤、ご両親の思い・・・どれひとつとっても重いものだった・・。

 また、この企画のために、もう幻ではあるが「3月3日の悲しみ」のアレンジちがい、慰霊碑に供えられたフランス語の「詩」につけた曲も録音していた・・。

 万一、帰ってこれなくても音は残るようにすべてレコーディングも済ませて行ったのだった・・。

 帰国してからの私は心身ともに大不調で・・・今から思えば、無念の思いが残る場所ばっかに行ったんだし、そういう面の影響を受けてる可能性もあったんだけど・・・、とにかく、彼に助けてほしかった・・。

 しかし、彼も、転職の問題とか抱えていて(あとでわかった)、手一杯だったんだろうね・・。


 で、一旦は「空中分解」してしまうのだ・・。

 私は2週間、ミルク以外は喉を通らず、今回亡くなった父上や遺族会の企画肯定派の皆さんから食事に招待していただいても、何も食べられなかった・・。

 目の前の食べ物を口に入れて噛む・・・それが信じられないくらい、したくなかった・・・。

 で、痩せた・・・が、肌はボロボロ・・、まぁ・・・拒食症だったんだろうなぁ・・・(しかし、助けてくれた人がいたし、その人には本当に感謝してるよ)。


 で、実は、しばらくして、彼はもどってくる・・。

 しかし、今度は、「じゃぁ・・あの言葉はなんだったの?」とか思っちゃう・・。

 で、また、別れた・・。

 しかし、同じ業界だからね・・・、また、とあるところで再開してから、復活した・・。

 今度は、あとでわかったことだけど、彼には彼女がすでにいた・・。

 どうやら、彼は「マリッジ・ブルー」だったみたいでね・・。

 
 私は、これで完全に立ち直れんくらい傷ついてしまった・・・。


 その完全に別れるときの彼の言葉が「生まれ変わったら結婚しような・・」というものだった・・。

 郷ひろみのセリフよか、前だよ


 思いのタケをぶつけられなかった私は、自分の中の時々暴れまわる思いを制御し切るのに10年以上かかった・・・。



 そういう様々な失ってきたモノ、もうこのごろはめったに思い出さないモノが、いっきに噴出してきたんだと思う・・。

  昨日はぜんぜん何ともなかったのに、自覚症状もなしに突然・・・襲ってきたこの感情はいったいなんだ!・・ってかんじ・・・・。

 原付の風が、何かを運んできたかな・・・・。



 亡くなったお父上は、母上とも一人息子とも再会できただろうし・・・、「一人でよくがんばってこられた・・」とこころから、むしろ「お祝い」してあげた・・と思う・・。


 「無限紀行」は・・う〜〜ん、どうしょうねぇ・・

(二次審査は軽井沢市民100名による審査だったということだ・・。選んでくださった方に心から感謝です)



 決勝は、10月14日(日)に軽井沢のホールで行われるらしい・・。


 お近くの方がおられたら、ぜひ、応援に来てくだされ!