先生という職業

 昨夜、友人から電話があって、ひとしきり愚痴みたいな状況報告を聞く・・。

 某市で進行している高校生による企画があって、友人は、その執行部から相談を受けお手伝いをしてきたらしい・・。

 ところが、その企画・・、その某市にある主に公立高校の先生たちが団結して・・・どうも、ぶっ潰しにかかっているらしい・・。

 理由はいろいろあるんだろうけど、たとえばいろんな高校生が集まってくるわけだから、モメ事による刃傷沙汰とかね・・。

 でも、こどもたちの企画の趣旨は「みんな一緒だよ」みたいなことらしい・・。

 確かになぁ・・、自分たちでやる・・っていい勉強だ・・。

 たとえ、事件がおきても、それは、勉強になるものだと思う・・。


 先生たちは、一般人より、危険の種類をたくさん知っているなら、先生たちも協力して、一日くらい警備なんかのボランティアすりゃいいじゃんと思う・・。

 危険から守る・・ってことは重要だけど、守るだけじゃなく、克服する知恵を教えることも重要に思える。


 しかし、このぶっ潰す理由が、単なる自己保身のためなら、アホらしい・・(お役人と同じだ)。

 社保庁や、どこやらの教育委員会と同じで、この公務員体質は、どうしてくれよう・・ってはなしだ・・。


 で、聞き捨てならなかった話があった・・。


 それは、父親の暴力で母親が家を出て行ってしまい、この暴力親父は、生活費を入れんらしい・・。

 で、このお嬢ちゃんは、中学生の妹を助けるため、高校をやめて、キャバクラに勤めながら、通信制の高校で勉強してるらしい・・。

 それがはからずも、このイベントにかかわっている高校生のどっかから伝わってきたらしい・・。

 おいおい・・・

 冗談ちゃうよ・・。

 これは、虐待じゃないのか???


 高校の先生たちは、何やってたんだ!



 どうも、先生たちがぶっ潰そうとしている一番の根幹は(大義名分じゃなく)、第三者に介入されたくない教育現場でのさまざまな問題点を穿り返されたくない・・・ということらしい・・・(裏金隠し的発想じゃあ〜〜りませんか!)。


 こういう話を聞くたびに思う・・。


 教員・・っていうのは、相手が子供と閉鎖的な同僚だけだ・・。

 どっかで人間性の成長がとまってやしないか・・・ってことなんだ・・。

 どこやらで民間の校長をいびり追い出した・・ってのがあったな・・。

 まさに、先生が集まると、クソ意地の悪いのが目立つ・・。


 何でだ???


 当然個人差もあるだろうが、これって、日教組の積み重ねてきたことが、どっか変だった・・ってことでもあるんじゃないかな・・・。


 私、むかし・・・先生たちで結成されたジャズバンドと組んでたことがあった・・。

 いい人たちばっかだったけどね・・。

 校内暴力で、黒板に字書いてたら後ろから角材が飛んできて、入院・・。

 で、転校した・・っていう先生もいた・・。


 また・・・「学校ではやってること何?」って聞いたことがあった。

 「不倫!」っていう答え・・。あながちジョークと笑えん部分あるよね・・。

 ま、それは普通の会社でも同じだろうけど・・。




 しかし、教育現場の閉鎖性、特殊性に風穴あけんと、外からは中でどんな教育が行われているかわからん・・。

 この強固な公務員体質・・、教育改革・・ってこういう部分に対しての改革をまずやってほしいもんだと思う・・。


 このイベントに関わりあった高校生には、大人の社会にはいろいろある・・。

 「自分は、どんな大人になるべきか、なりたいか・・」そういうことを考える機会にしてほしいな・・。


 

 教師の採用試験に受かったら、まず3〜5年・・・民間の2種類以上の会社で働く・・・。

 これを条件にしたらどうだろう・・・。

 大学生がそのまま、先生になるんだ・・。


 んなもん、いいわけがない・・。

 頭がよかった・・と自負してる大学生はそのまんま、それ・・って物事の一面でしかないことを悟らないまま、子供の教育に携わる・・。

 勉強は教えられるかもしれんが、それ以外の問題を解決できる経験を本人が欲しなければ、それで終わる・・。


 また、大学の予備校に成り下がっている高校は、どっか変だわ・・。


 それを「変」と思わないところが、おかしいんだよ・・・。

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