ママの唄

 パラカフェでお会いした彼女の質問で「『ママの唄』は、どんな?」このどんな・・は出来た時のはなしか、それとも設定の話か・・・まぁ・・・よくわからんかったけど、大黒屋さんも大はしさんも、気には入ってもらってるみたいだから・・・ちょい書いておくと・・・

 もち、娘たちへの遺言であることは間違いないっす。


 それから、ママ関係の歌は、ほとんどパパが出てくるのだ・・。


 しかし、現状は「母子家庭が増えてきている」。

 母子でも父子でも・・・とにかく子供を育てる・・ってのは、本来共同作業ではあろうが、そんな悠長なことを言ってられる時代ではないよね。


若いうちから「愛のかたち」とかいって本来子作り作業である○○○を当然のようにやる・・。

 方程式が解けないくらいの状態で、そっちの方をがんばるもんだから、大人だって、大人になりきれてないってのに、その段階で親になったりする・・・。

「親」ってのは「滅私」の部分が大きい。


 で、結婚てのも、二人で一人前ではやっぱ困ることだと思う・・。

 二人で三人とか四人の働きをしんとね。

 確かに「国」の基本は「家庭」だから「家庭が円満」ならそれにこしたことはない。

 でも、現実はそう甘くないじゃない?



 で、女性も子供を生むなら、一人で育てる覚悟がいるんじゃないかと思う。

 その覚悟から見えてくるものも多いんじゃないか・・。


 子育ての一番基本中の基本は、「社会に迷惑をかけず、ちゃんと生きていける」人間として、世の中に送り出すことだと思う。

 学歴がどうの・・とか、個性がどうの・・とか、そういうのはその後の話だ。


 どっかで原点に立ち戻らないと、学校でどうなるもんではない。


 ○山小学校の試験かなんかのニュースをやっていた。

 小中高の一貫教育・・ってさぁ・・本当は、そんなことで解決は出来ん。


 つまり、教育熱心な両親がそろっていて、金持ち。

 そういう線引きが少子化を生き抜く学校経営の方法として浮かんできたいんだろうけどね。

 ・・・つまり・・・家庭という枠が「まとも」ってことじゃなくて、家庭にいる大人が人間として「まとも」で、その「大人」が、どんくらい「次世代」に対して「真摯」に対応できてるか・・・

 その「対応」に試行錯誤してがんばっている・・っていうのが「教育熱心」ってことだよね。

 「家庭」という枠が「まとも」ってことじゃないはずなんだ。


 母子家庭だって、父子家庭・・だっていいじゃないの。


 そこで育った「大人」が社会で、ちゃんと「まとも」に生きてれば、「国」は「まとも」になるはずなの。


 年金問題だって、血液製剤のはなしだって、「大人」が「まとも」な対応をしんかった結果だからね。


 「次世代」に「特別意識」を持たせるような「教育」はあきません。


 特権階級なんて、作っちゃいかんのだからさ。


 だから、「ママ」が基本で、がんばらにゃいかんのよね。


 ズルはいけませんわ・・・。


 苦労すべきところでは、まともに苦労いたしましょ。


 そういうことをちゃんと教えんと家庭の意味がない。


 そういう子が集まって、学校が機能する・・ってことじゃないだろか。


 心を入れ替えても、全体が変わるのは、すいぶん先の話だし・・・

 環境問題のなかに、こういう部分も入れんと・・特に、日本では・・だめな気がするのですね。

 「男はね、こういう女が好きなのよ」みたいな、どこやらの先生の「お話」は、そういうご商売をされてる方には重要かもしれんけど、子育て広場では、そんなレベルの話じゃなくなってる気がしますね・・。


 母子家庭、父子家庭・・・ガンバレ・・・

   という歌です・・・あれは・・・・