北島・・・・
これから、まだ200mがあるんだし、途中でコメントもなんだけど・・・連覇を成し遂げた選手たちは、まず、すごい!
メダルとか関係なく、出場だってむずかしいわけで・・・。
4年という年月は、けっこう長い。
その間、維持するのも・・・達成しちゃったあとなんだから、大変だと思うんだ。
私は、昔ヤマハが主催していたポピュラーソングコンテスト・・というアマチュアのコンテスト出身だ。
別に子供のころから英才教育受けて、んで、理論もたたきこまれて・・というそういうやからではなく、たまたま・・・ほんとうに偶然、ヤマハに知人がいただけなのだ。
で、ドラムの叩き語りをやるはめになって、出したこともない声を急に出すようになったんで、発声が悪い。
で、ボーカルコースができる・・っていうので、まず一応オーディションを受けて入る。
なんだかよくわからんが、その二ヵ月後くらいに財団本部のボーカルオーディションがある・・っていうので、そんなに発声が悪いにもかかわらず、3番手くらいに出ることになる。
で、これが受かってしまう。
あがって1番を2回歌ったにもかかわらず・・・。
で、合歓の郷の合宿に入れられる。
この仲間には、サーカスの叶正子さまや、庄野真代さまや、中島みゆきさま(合宿途中で、《自分には合わない》・・って帰っちゃったらしい)や、風コーラス団・・・とか後のすごい面々がおられました。
合歓の先生方はすんごいまともな先生で、私の発声には手を焼かれて、で、「天地真理」風に仕立てられて名古屋に戻った。
これには、名古屋のヤマハの人たちはアングリで、「忘れろ!」「やりなおし!」・・ってことになる。
私は、別にプロになりたかったわけではない。そんな才能があるとは思えんかったしね・・・。
しかし、自分の中で納得いかなかったから、もう一度自分から志願して合歓の合宿に参加する。
で、ある夜、先生の一人に部屋に呼ばれ、「お前は、エレクトーン、習ってるんだったな(3ヶ月でやめちゃった)?それとお前は、ちゃんと普通に日常生活をしていける普通の人間だ。
たとえば、お前の着ているドレスが一万円だったとしよう。それを10万円と言ってのけられる世界が芸能界だ。
お前は名古屋に帰ったら、普通の生活を送れ。
それが、一番のお前自身の幸せだと思う」・・・と、こんこんとおっしゃるのだ。
つまり、向いてない・・・下手なんだから、やめろ・・ってことだね。
で、名古屋に帰ると、ボーカルコースの先生が、「やっぱ・・僕は自分で歌いたいです」・・ってことで、東京に行ってしまって、先生不在。
ボーカルコースはとりあえず休止となった。
その休止・・という説明会の帰りに、ヤマハの社員さんが、「これから、作曲編曲教室に行くけど、見学しに来ん?」と誘ってくれた。
それが、すんごい転機となった。それが1月くらい。
翌週・・・初めて作った曲を持ってレッスンに行く。
すると講師の林雅諺先生は、ヤマハの担当者に「彼女、面白い曲持ってるから、一度聞いてやって」と言ってくださる。
ヤマハのスタッフは「あの歌の下手なヤツが曲だってさ・・。でも、林先生の手前・・無視も出来んな」・・みたいな顔しておられましたわ。
で、2月のポプコンの予選みたいなのを通過して、4月のアタマくらいの中部大会に出た。
で・・どういうわけか、入賞してしまうのだ・・。
で、そのころは、3月3日に友人が事故で亡くなり、その曲想がすでに出来ていた。
で、すぐ次のシリーズのポプコンの予選を通って、9月の中部大会を経て、「つま恋」を通って、12月には「世界歌謡祭」に出てしまったのだった。
でも、別に入賞したわけでもなく、それで世界が変わったわけでもない。
で、もう一度チャレンジして、それで何か成果があれば、もうプロになろう・・って思った。
で、次に作ったのが「ミスターロンサム」だったんだ。
その世界歌謡祭のリハで、以前、「もうやめろ」と言ってくれた先生に再会した・・・。
先生は、「苦労したんだろうなぁ・・」「俺の読みもあてにならんわけだな。かんがえなおさにゃいかんな」と言っておられた。
で、おしまいに「それ以上うまくなるなよ。シンガーソングライターとしてなら、嫌味になるからな」ともおっしゃる。
私は苦労したつもりはなかったのだ。好きだっただけで・・・。
苦労なら、ミスターロンサム以降のが100倍大変だったわ。
このミスターロンサムで、不相応な「歌唱賞」なんてもらうもんだから、それからはプレッシャーでなかなか歌えない。
「歌唱賞もらって、その程度?」・・って言われることはまず間違いなかったレベルだったからね。自覚もあったし。
お勉強としては、・望まないと何も生まれない
・好きなことを見つける・・って大事
・現在はだめでも、あせることはない
・プレッシャー・・ってあるんだ
・・・・・・みたいなことだね。
もっと、努力は出来たはずだな・・とも思う。
そんな私の若かりし頃と、世界のトップ!北島さまを比べちゃいかんが、当時の私と年は似てるが、その精神力には驚かされる。
私は、もっとガキであった
しかも彼は素直で、ちゃんとみんなへの感謝も忘れない。
まったく・・・すごいね。
世界で一番なんだもんね・・・。
超気持ちい〜〜若者であるな・・・・すごいすごい