マニアックな話No.3ミッドナイト東海(長いです)
私のライブでの話しを聞いたことがあるお方(少ないと思うけど)は、わかると思うけど・・私のはなしは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長い
もともと・・前置きは長い・・と言われていたんだけど、それが定着したのは、ミッドナイト東海(東海ラジオというラジオ局でやっていた深夜放送)みたいな生のワイドを何年もやったからじゃないかと思う・・・。
ミッドナイト東海が終わってから、KBS滋賀・・というところで、「さんさんワイド滋賀」っていうので、土曜日にしゃべっていたし・・・。
私が最初にラジオにかかわったのは、「ヤマハ・フレッシュ・ポップス」というCBC(中部日本放送という)の番組のアシスタントだった。
このアシスタントの初代は高木麻早さま。
メインキャスター(・・っていうのかな)は日比英一さまでしたわ。
ポプコンの音源なんかを流す番組だった。
私の身分としては、「ミスター・ロンサム」以後・・日本楽器名古屋支店音楽普及課所属のタレント・・・みたいな感じだった。
マネージャーもどきを言い渡されてしまったヤマハの社員さんは(楽器売ったりするのが本業だもんね)早稲田出身で、困った彼は同じ早稲田つながりで、東海ラジオのアナウンサーでもあり、ディレクターでもあった故梅村勝彦氏に相談に行った。
「連れてこ〜〜い!」みたいなことで、会いに行く。
長時間一人でしゃべったことも、そういう勉強もしてないわけで・・・
だけど、ミッドナイト東海がリニューアル予定で、パーソナリティーは音楽関係でまとめたい・・という意向があったようで、オーディション・テープも録ったし・・・なんとか、火曜の深夜担当になった。
ディレクターは、当時、離婚して間がなかった故嵯峨道夫氏。
おっかないんだ・・・これが・・・
仕事となると・・・鬼でありましたな・・・。
しゃべったことないんだってば・・
インタビューなんかしたことないんだってば・・・
第一回目の放送で、カフ(マイクを有効にするレバーみたいなもの)をあげたとたん、「これは・・・もえらいことになってしまった!」と思った。
嵯峨氏は当時30才・・・。先生としか考えられない「林雅諺」先生だって、多分・・40代前半・・・
若造じゃ〜〜ん・・・ってことなんだけど、私も小娘なわで・・・
放送が終わると魔の時間になる。
ディレクターに「しゃべり」の感想を聞きたいんだけど、こわいのだ。
で、黙ってると「君は、自信があるんだねぇ・〜」と来る。
んなわけね〜〜じゃん。
そんなこといわずに「言ってくれりゃいいのに」・・って何回も思ったけど、それは甘いんだよな。。。きっと。
だから・・・葉書はうれしかったな・・・。
私が番組中、何回「あの〜〜」を言ったかを数えて報告してくれていた人もいたしね
やめるときにこれらの葉書や手紙・・・捨てきれずに持ってきたんだ。
だから、実家を家捜しすると、たくさんではないけど、出てくるはずなのだ・・。
今は、ちがうけど、昔は東海ラジオの代表電話は、夜はアナウンス室に直通になっていた。
アナウンス室から制作室を経てタレントルーム(深夜放送の準備のために打ち合わせしてる部屋)があった。
ドラゴンズが負けると、この直通電話が鳴るんで、結局私たちが出ることになる・・・。
たいていは、酔っ払いが腹いせにかけてくるのよ。
ろれつがまわんない状態で、たいていは・・・・・クドイ
私が目撃したのは一回だったけど、嵯峨Dが出たときにマジで電話の向こうに抗議をしていた・・。
そりゃ、たしかに私たちからはあちらの詳細は不明・・。
でも、あちらからは、誰とわからなくたってラジオ関係者が応対してるのはわかるんだもんね。
それはないだろう・・・と怒ってるわけ。
酔っ払いに、そんなこと理解できるとは思えんのだけど
私の日は、マニアックこのうえない「野次馬作詞教室」というのがあった。
曲をつけて、録音もして流したり、生でギターなんかで歌ったりもしていた。
「ギターのおじさん」というキャラもいまして・・・
これは、ヤマハのNさんか、ウインドー・ペインの奥田くんhttp://sound.jp/rokugentei/だった。
わたし ・・・音楽してても、範疇外の場合・・・有名人でも、ま〜〜ったく知らなかったりするのよね。
今だから言うけど・・・・ある日、嵯峨Dは「今夜のゲストは《さだまさし》だから、あとで一緒に食事に行くよ」とおっしゃる・・・。
しかし「さだまさし」???
誰だろ・・・・
一緒に食事してても、誰だかわからん・・・・
で、コソっと友人に電話をする。
「な〜に〜〜・・・そんな有名人知らんの??グレープの片割れ・・・バイオリン弾く人だがね」と言う。
・・・え”〜〜!そうなんだ・・・。
なら・・・知ってたわ
さて、木曜の夜は「鶴瓶」師匠。
水曜の夜から単独金曜に引越しした「兵頭ユキ」ネェ・・・という、
今は、有名人のパーソナリティーもおられましたよ。
ユキネェ・・と私のディレクターは同じ嵯峨Dでありましたが、鶴瓶師匠のDは故高木ジョー氏でありました。
この方は、私の学校の先輩でもあり、個性を並べたみたいなディレクター陣の中で、普通に優しい人だったと思う。
遊びに行くと、「ぜ〜^ったい、電話番号とか教えちゃいかんぞ!」とチェックが入る・・。
鶴瓶師匠は、本当に電話かけちゃうし、本当に家に来ちゃう・・・というのだ。
でも、それが本当かどうかは、私・・・教えてないし、わからんわ・・。
本番中にパンツ脱いじゃったりはあったみたいだけどさ・・・
「野次馬作詞教室」では、「めだかさん・・・owow めだかさん・・」なんていう「めだかさん」・・・という歌とか・・・・
そうそう・・・ポプコンに出して、「つま恋本選会」までいって、入賞して、・・・小林千絵さまのアルバムに入った「あなたはエンジェル」という曲も、詞は、この「野次馬〜〜」出身だった。
作詞は・・・名前出していいのかわからんので、H.Uさん(男性)でありました。
このミッドナイト東海で、非常に困ったのは、ナイターが伸びたときだな・・・。
まるで、クッション番組みたいな状態で、普通は2時間45分(午前0時15分に始まる)なのよね・・・。
で、その中に流れるCMの量も決まってるわけ。
だけど一時間遅れて、1時間45分に短くなったとしても、流れるCMは2時間45分の場合と同じだけあるんで、まるでCMの合間にしゃべってるみたいになるのよ。
しかも、普通は0時15分から始まるから、オールナイト・ニッポン(午前1時に始まる)より早いわけで、45分しか聞かないにしても葉書は書いてくれたりする。
しかし、一時間も遅れると、午前1時にはオールナイト・ニッポンが始まっちゃうから、そっちを聞いてる人が、東海ラジオに戻ってくるとは考えられない。
よって、こういう日の翌週は、ガクンと葉書の量が減る。
が〜〜かりしちゃうよね。
東海ラジオの建物は、もえらい立派なとこへ、引っ越しちゃったけど、マニアには有名?だったかもしれない「お化け」の「1スタ」!というのがあった。
ピアノがある大きいスタジオで、5階にあった。
ミシミシ・・とか、パキツ・・・とか音がするんだ・・・。
普段は6階のスタジオでしゃべってるんだけどね・・・
最後の放送は、マイクを持って、5階に下りて、この「1スタ」から生演奏を放送したと思う・・・。
さて、全国恐怖の一局ネットでも、ずいぶん遠くから葉書をもらった。
四国だの、九州だの、東京だの、北海道だの・・・・
葉書書いたことのある方・・・
ありがとうございました・・。
私の前にはマイクしかないわけで、・・・だけど、葉書が来る・・ってことは、誰かがちゃんと聞いててくれるわけよね・・。
だから、それが立証された気がして、すんごいうれしかったよ・・・。
(私の時間は、ローカル有名人の宮地さんとかとはちがい、マニアックな番組で、地味きわまりなかったけど)
ありがとさんでした。
どっかに、おっかさんが録音しといてくれたカセットもあるはずで、すんごくいい思い出。
ほんと、・・・ありがと