マニアックなおはなしNo.2 世界歌謡祭(長いです)


 これは、書いたらいかんのかもしれんが、まぁ・・・

  もえらい年月もたっとるわけで・・・それに興味のある人にしか関係ない話だ・・・。

  世界歌謡祭・・ってのは、知らないお方もおいでになると思うが、「ヘドバとダビデ」の「なおみの夢」をご存知のお方も多かろう・・。

   あれが、選ばれたイベント・・って思ってもらえばイメージできるんじゃないだろか・・・。

  ポプコンの上位入賞者が出場資格をもらえるのだ。




  自分が出る前年・・・、観客として武道館へ行った。

 こん時は、グランプリがたくさんあったのだ。

 決められんかったらしい・・(その中の一曲が、「あなた」であり、シャンソンをご存知の方は、山本リンダさまなんかも歌っている「パリは不思議」あるいは「愛の流れの中で」・・という題の楽曲。ジリダ・ジュリアーニ・・という18歳のイタリアの女の子が歌った曲で、もえらい歌・・上手だった。)。



 後日、・・・故川上源一様が、ほかの人と雑談しているのを聞きかじったところによると、日本からはポプコンからの上位入賞者が行くわけだけど、アマチュアが出るわけで、川上さまとしてはめっちゃ不安であったらしい。

 しかし、この小坂明子さまが取られた時は、べつに何か事前の取り決めがあったわけでもなく、運良く入ったものらしい。

 で、「ホッとした」とおっしゃっておりました。



 そのせいか、次から・・・つまり、私が「3月3日〜」で出た回から、日本からは別枠でグランプリが出るようになった。




 「3月3日〜」のときは、「つま恋本選会」から、この歌謡祭までの時間が短く、予備知識もへったくれもなく出かけて行った。

 衣装は、栄町ビルのブティックかなんかで買ったジーンズのスーツで、本番なんか、ちょびっと口紅つけたか・・・ちょびっとアイシャドーつけたか・・・くらいのもんで、あとはスッピンであった。

 歌謡祭は、レセプションがたくさんあって、まず宿舎はグランドパレスという九段下のホテルだった。

 私は、葛城ユキさんと同じ部屋だった。

 彼女のマネージャーが隣の部屋だったんで、巻き髪で美しく化粧した彼女は、自動ロックの部屋を開けっ放しにして、チョコチョコ行ったり来たりしていた。


 おかっぱの私は、彼女の付き人に見えたみたいで、外人さんには、美しい葛城さんが、高級娼婦に見えたのかもしれなくて、そういう変な外人さんが、部屋の前でウロウロしたりもした(そういうことに葛城さんは気づいてなかったかもしれないけど・・・、外人さんから見ても、そんくらい彼女がきれいだったのだと思う)。


 出演者のなかには、「ビージーズ」一派で、後にアメリカでヒットを飛ばした「サマンサ・サング」とか、「すきやき」の焼き直しで、全米一位のヒットを飛ばした「テイスト・オブ・ハニー」もいた。

 当時、チョッパー・ベースがまだ、耳新しいころで、一緒に行ったバンド「シスコ・キッド」は、彼らのステージでその奏法を見て、納得していた。


 ステージは、白いグランド・ピアノのふた(と、いうのか?)が、ぐぐ〜〜っと開くようなイメージで、美しかったわ。


 とにかく夢みたいな時間だった。


 まぁ・・・私の場合・・・、曲が曲なので、遺族の皆さんを傷つけちゃいかん・・・、それしか頭になかったから、・・・つまり、・・・

 公になる場所に出た・・ってことは、私の亡くなった友人のご両親だけの問題ではなくなってしまったんだ。



 
 さて、・・・そういう問題はこっちに置いといて、このときのグランプリは、浜田良美さまの「いつのまにか君は」であった。


  あとは何にも覚えていないな・・・。

 そんくらい、さっぱりわからないまま、参加した・・ってことなんだと思う。


 すべて終わると、一週間近い夢の時間は2時間で跡形もなくなった・・。


 あの狂騒は何だったんだろう・・・と何度も思ったし、音楽・・って面白い・・・という私の中の何かを呼び覚ましてくれたともいえる。




 で・・そのときの感想が、「ミスター・ロンサム」になる。


 とにかく、無理かもしれないが、もう一回そこへ行ってみたかった。


 


 曲を作り始めてまだ、間がないから、どうしていいかわからんのだけど、その時に表現したいものは、その祭りのあとみたいな寂しさと、当時気に入っていた、サミー・スミス・・というC&Wの歌手の「The last word in lonesome is "ME"(孤独という文字の最後にあるのは《私》)」という歌のフレーズから感じた気持ちだった。


 一ヶ月くらい思考錯誤したと思う。

 良し悪しはわからんが、その時の自分には、それがせいいっぱいだったと思う・・・。



 で、これがまた・・・八神さんと一緒・・・。

 誰が聞いても彼女の歌は素晴らしい・・・。





 ありがたいことに・・・二人とも「つま恋」へ行けることになり、「つま恋」でのリハーサルの時に、ヤマハの人に(だったと思うけど)、「彼女・・・グランプリ候補なんだ・・」と言って、とある女の子のリハに引っ張って行かれた。


 それが、中島みゆきさまでありました。「傷ついた翼」を歌っておられました・・。

 プロフィールを見ると、「いろいろなものの全国大会をいくつか経験して・・」みたいなことが書いてあって、感心する。


 私が経験した全国大会はポプコンだけだったから・・・。

 ほほ〜〜・・・すごいなぁ・・・


 それが、5月か6月の「つま恋」・・・。

 で、その秋に「アザミ嬢のララバイ」が出る。


 私たち、ポプコン出場者の特に女の子は、川上理事長にかわいがってもらったと思っている。


 いつだったか、「ところで、オリジナルは何曲くらいあるの?」と尋ねられたことがあった・・。

 「ロンサム」が5曲目の楽曲だったわたしは、せいぜい10曲しかストックはなかった。

 「10曲くらい」・・・と答えると、理事長は、「中島さんは、150曲はあるらしいですよ」・・と、おっしゃる。



 どうやると、そんなに出来るんだろう・・・と、素直に感心し、驚いた。



 実は、私・・多分・・八神さんも、キーは「C」でしか弾けなかったのだわ・・・。


 だから、「ロンサム」も「C」なのだ・・。



 「とまり木」に入っている「永遠の流れの中で」を作ったとき・・・ 途中で耳の赴くまま、ベース進行を弾いていったら、・・・転調してしまった・・・


 同様に、八神さまの「幸せの国へ」も「あたま」はAmなんだけど、実は「G」で、おそらく原因は、私と同じような理由からだったんじゃないだろか・・。

 
 二人とも・・・理論・・っていうより、「耳」で曲を作ってたんじゃないかな・・・。

 
 おなじく「とまり木」のなかの「白い朝」は「サビ」前が9小節ある・・。


 林先生(作編の先生)は、「小節の決め方、間違ってない?」といっしゃる・・・。


 私が歌うと、「おかしくないねぇ・・」ということで、「ま、いっか」・・ってことになる・・・。

 しかし、これが、楽器だけの演奏になると「変」らしい。


 だから、アルバムの中では間奏は8小節になっている。

 
 音楽・・って理論だけでは、解決できんことはたくさんあるんだろうと思う・・・


 さて、世界歌謡祭の方は、因幡晃さまの「わかって下さい」は出るし、中島みゆきさまの「時代」は出るし、混戦の第六回歌謡祭になった。


 もう、震えるくらいあがりましたな・・・・




 結果は、「松崎しげる」氏とともに、「歌唱賞」だった。



 「何で」と思う・・・。「歌唱賞もらうほど上手くない」のは自分が一番わかってたから・・・


  打ち上げのレセプションでは林先生とダンスをしたのだけど、先生は酔っ払って、タバコを指にはさんでおられたので、灰がおちて、ステージ衣装には穴が開いてしまった。

 また、翌日・・・本部へ行くと、賞状が2つある・・・

 「あれ???なんでぇ〜〜?」と言うと、スタッフが「川上理事長が、柴田さんをぬかしちゃったんですよ。ボビー・ソロと一緒に、川上賞も、もらってたんです」とのこと・・・。



 喜ぶべきか!???



 ま、・・・・そんな・・・・世界歌謡祭でありました。






 今、思うと、この頃の大変さなんて、たかがしれてて、身近だからこそ頑張れる目標がなくなって、次のステップをあがろうとすると、私の知らない世界になってしまう・・・。

 だから、・・・どうしていいかわからない・・・

 それ以後の方が100倍大変だった・・とどっかに書いたけど・・・


  まさにそういう感じだった・・・。



 なんせ、誰かに「おねが〜〜い」・・っていうことが苦手なタイプであったうえに、いっぱいしゃべるけど、大事なことは言わないタイプだったし、・・・特別美形でもなかったから、私がどうしたいか・・なんて関係ない話だったんだと思う。


 理事長に直訴・・・なんて手もあったかもしれんけど、社員さんに迷惑かけるのもな・・って変なところで気を使った・・・。


 でも、それもこれも、私はそういう運命で、まだ、何か認めてもらうには時期尚早だったんだと思う。







 いかん・・・・長くなりすぎましたな・・・。


 マニアックだとしても、・・・あんまり長いのはいかん!

 興味があれば、・・・それはまた、どこかで・・・